十条銀座博物館 第11期展・十銀ジャーナルの時代JUJO GINZA READINGS

公開日:2010-10-23十条銀座博物館 第11期展・十銀ジャーナルの時代

今回とりあげるテーマは、商店街報。社内報というのは、よくありますが、商店街にも当然、内部の組合員に向けたおしらせが作られて、配付されております。
 現在も、月に1回ほど「十条銀座組合報」というのを発行して、加盟店に配っています。
これは、きわめて事務的な連絡事項を記した通知に過ぎません。ところが、かつてはこうした「組合報」とは別に、商店街新聞あるいは、商店街雑誌のような印刷物をきちんと刊行していた時代があったようです。どんなものだったのか、ちょっとご紹介いたしましょう。


◆雑誌『十銀ジャーナル』8号~18号(1971.1~1980.4)◆

◆雑誌『十銀ジャーナル』8号~18号(1971.1~1980.4)◆

◆どうやら戦前も含めて、昭和30年代頃まで、組合から加盟店に対するお知らせの類は、回覧板のような形で、お隣からお隣へと順送りで通知されていたようです。回覧方式は、昭和40年代・50年代ころまで部分的に見られたようですが、やがて通知文を配付する方式へと移行していきました。通知文はガリ版刷りでわら半紙などに印刷、配付されました。

◆回覧時代は、「組合報」というものはありませんでした。十条銀座の「組合報」第1号は、昭和48年9月に発行されています。それまでは「速報」「おしらせ」などと題して配っていた模様です。


◆昭和44年3月21日の組合厚生部「回覧」◆

◆昭和44年3月21日の組合厚生部「回覧」◆

◆十条銀座「組合報」第1号◆(昭和48年9月23日)

◆十条銀座「組合報」第1号◆
(昭和48年9月23日)

◆組合員への通知◆(昭和44年3月24日付)

◆組合員への通知◆
(昭和44年3月24日付)

◆このように様々な形で、組合からの事務連絡が加盟店へ通達されていたのですが、それとは別に、読み物的な要素を備えた刊行物が商店街で印刷され、配付されることもあったようです。手元に残っている資料では、『十銀タイムス』というタブロイド版の新聞が大切に保存されています。

◆ 『十銀タイムス』No.6 ◆ (昭和40年12月1日発行)

◆『十銀タイムス』No.6◆
(昭和40年12月1日発行)

◆ 『十銀タイムス』No.8 ◆ (昭和41年3月1日発行)

◆『十銀タイムス』No.8◆
(昭和41年3月1日発行)

◆『十銀タイムス』は、「発行・十条銀座/編集・小内修、ゆうじん会」と記されており、当時商店街の理事だった小内さん(伊勢福ふとん店)が編集長(?)となり、作られていたものと思われます。
「ゆうじん会」とは、商店街青年部の前身組織なのだそうです。それ以前には、商店街の「満20歳以上の男子二世」によって構成される「十条銀座同人会」という組織があって、実質的な青年部としての役割を担っていたようです。つまり当時の若手連中が集まり商店街周辺の様々な情報を新聞にして発行していたということなのでしょう。

◆『十銀タイムス』の内容は、商店街の事業情報、投稿、販売技術論、住民の声、人物紹介、随筆や詩の連載などさまざま。更に、昭和40年9月に各店舗の従業員たちで作る「進交会」が結成され、のちに商店街公認組織として認められると、ゆうじん会・進交会が一体となって商店街のヤングパワーは一層盛り上がっていったようです。

◆その後、『十銀タイムス』がどうなったのか、よく分かりませんが、数年後、『十銀ジャーナル』という雑誌が発行されており、現在、資料として8号(昭和46年1月)~18号(50年4月)が保存されています(冒頭写真参照)。発行・十条銀座、編集責任者・小内修とあります。

『十銀ジャーナル』8号(昭和46年1月発行)PDFファイル

◆『十銀ジャーナル』は、巻頭に堂々たる論評を載せ、十条銀座内に留まらず、広く商店街動向や時世、世論にまで筆が及んでいます。もちろん紙面の多くは、組合の活動や調査・アンケートの集計報告、投稿、エッセーなど、『十銀タイムス』を踏まえた構成となっています。
特に、アーケード建設に向けた議論や、毎年夏に開催していた阿波踊り大会をめぐる活発な議論は毎号の紙面で取上げられています。当時、商店街を担っていた若い役員たちの焦りや苦悩が文面からもよく伝わって来て、とても興味深い資料です。


今回は商店街の加盟店に対するお知らせ。特に『十銀タイムス』や『十銀ジャーナル』についてご紹介いたしました。『十銀ジャーナル』が18号で廃刊となったのか、今のところ不明ですが、恐らくこのあたりで途切れたものと思われます。

これらの刊行物を、常に中心となって編集していた小内修さんは、昭和38年の振興組合発足から昭和62年度まで理事として組合運営に尽力。
のちに家業の布団店を閉店され、平成5年から事務局長として商店街事務所に勤務。
平成16年5月に退職されるまで、永年にわたり商店街に力を尽くされましたが、残念ながら平成19年11月に他界されました。もう当時の話を聞くことができず、もっとあれこれ聞いておけば良かったと後悔しきりです。
今回ご紹介したのは、小内編集長が手がけた仕事の、ほんの一部ですが、いまも我々を叱咤激励する鋭い言葉で満ち溢れているように思います。

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