公開日:2004-10-17十条村役場1.下十条の探し方(基礎編)
ようこそ十條村へ。
うちの村は、二百軒あまりの農家があるだけで、これといった観光資源もございませんが、21世紀の十条から見れば「へぇー」と思えるような穴場が無い訳でもありません。
私ども十條村役場の観光課スタッフが、これから村の中をちょいとご案内いたしたいと存じます。
今日はまぁ初回ですから、とりあえず「下十条」っていうところへお連れすることにいたしましょう。――
◎皆さん十条駅はご存知ですね。
毎朝、学生さんたちの長い行列がぞろぞろ続いています。その行列を縫うようにして、踏切ぎわの細い道を家政大学の方へ歩いてまいりますと、 突き当たりが財務省国税局の官舎です。
今は建物の半分が取り壊されて、野原になってますが、この官舎、「国税局下十条宿舎」っていう名前だったのご存知でしたか? いずれここに公園が出来るなんて話もありますが、今のところそれを仮称「下十条公園」と呼んでいるようですよ。 とにかく「下十条」という地名が、ここに何気なく使われている訳です。ご承知のように、いま下十条という町名はありません。上十条だったら1丁目から5丁目までそろっていますが、さて「下十条」とは??
◎ところで東十条駅が、その昔「下十条駅」という名称だったことは、ご記憶の方も多いでしょう。
今でもJRでは「下十条運転区」という名称が使われていまして、当時の名残がわずかに窺えます。「下十条駅」は昭和6年の開設。現在の「東十条駅」に名前が変わったのは昭和32年のこと だそうです。 それにしても先ほどの国税局アパートが「下十条」官舎で、東十条駅が「下十条」駅だとしますと、さて「しもじゅうじょう」というのは、一体どこからどこまでなんだろうって思うかもしれませんね。
◎そもそも、現在使われている中十条とか、東十条とか、十条仲原といった新町名ができる以前、この十条地区は「上十条町」と「下十条町」という二つの町名しか無かったのでございますよ。 戦前、まだ北区が出来る前、この辺りが「王子区」と呼ばれていた時代のお話です。今の町名に変わったのは、あれはたしか昭和14年の元日のことでした。 その当時の記憶をお持ちの方でしたら、今でも上十条町と下十条町の位置関係が頭に入っていることでしょうね。
でも、当時20歳だった方は現在、85歳のはず…。 つまり、ほとんどの人は「下十条」を知らない、と申してもいいでしょう。 十条生まれの十条育ちという年配の方でも、「下十条っていうのは、今の東十条のことだよ」なんてことおっしゃる人があります。それも仕方の無いことでございましょう。
実は、その境目というのがそのまま、昔むかしの上十條村と下十條村の村境だったのでございます。
で、村境はどこだったのか。 古い地図を見ますと、境界線は先ほどの下十条官舎の側にある王子第5小学校と、東十条駅を結ぶ斜めのジグザグ線だったことが分かります。
そしてこのラインのだいたい北側が上十条町(むかしの上十條村)で、南側が下十条町(下十條村)ということになります。国税局のアパートも、東十条駅もギリギリ下十条だったわけですね。 しかも東十条駅は、ちょうどホームの真ん中辺りを境界線が横断しているのですよ。なのになぜ「下十条駅」と名付けられたのか。それは駅開設当時、改札口が下十条側(つまり今の南口)にしか無かったからだと言われております。 これもまた、比較的有名なお話でございますが…。
地図はこちらから
上十条と下十条の境目、何となく分かって来ましたか? まだよく分かりませんか?
それでは次回、もう少し詳しく村境をたどりながら、21世紀の「下十条」を歩いてみることにいたしましょう。またのお越しをお待ちしております。
十條村役場 観光課スタッフ 榎本 龍治