公開日:2008-11-25十条銀座博物館 第5期展・阿波踊り大会の軌跡
十条銀座の商店街事務所には、戦前からの長い歴史を物語る商店街の古い記録が多数保存されています。役所に提出した文書はもちろん、ポスターやチラシ、記念品、粗品のサンプルなどなど、今となっては大変貴重で懐かしいお宝が、倉庫の片隅にひっそりと眠っています。このコーナーでは、そうした資料を少しずつご紹介しながら、商店街が歩んで来た道をちょっと振り返ってみたいと思います。
今回も昭和40年代に行われていた阿波踊り大会の記録をご紹介してまいります。
阿波踊り大会が実施されたのは、昭和42年から51年にかけての10年間でした。
その開催年月日を記すと以下の通りです。
第1回 :昭和42年7月15日(土)パレードのみ
第2回 :昭和43年7月10日(水)十条銀座単独開催
第3回 :昭和44年8月9日(土)・10日(日)
第4回 :昭和45年8月7日(金)・8日(土)
第5回 :昭和46年8月7日(土)・8日(日)
第6回 :昭和47年8月1日(火)・2日(水)
第7回 :昭和48年8月10日(金)・11日(土)
第8回 :昭和49年8月9日(金)・10日(土)
第9回 :昭和50年8月9日(土)
第10回:昭和51年8月7日(土)十条銀座単独開催
◆ 時代を感じさせるデザイン。「ペプシコーラ10円」というあたり、懐かしさ満点です。今回は、こうした懐かしいポスターや関連資料をまとめてご紹介したいと思います。
(右)昭和44年の十条銀座モーレツセールにて配布されたペプシコーラ購入券。
先着4000名様という数字にビックリです。
(右下)昭和45年のペプシコーラ無料券。たぶん参加者に配ったのでしょう。
(下)昭和45年の御食事券
阿波おどり参加者に配られた食事割引券
裏面に書かれた協賛16店舗にて200円分の券として利用できるもの。
(右)昭和48年の銀座湯入浴券
これも阿波おどりの参加者に配布されたお風呂屋さんの無料入浴券です。
銀座湯はアーケード東通りからスーパーカトウへ行く道にあった銭湯。今は区営の自転車置き場になっています。
◆ 参加者には食事や飲み物、銭湯にいたるまで、様々なおもてなしをしていたのですね。
当時、同じように阿波踊り大会を実施していた高円寺、下北沢などの商店街からも大勢の連が加勢に来てくれたそうです。また、反対にこちらからも他の商店街へ踊りに出かけていったという話です。そうした東京の商店街相互の交流が「阿波踊り」を支え夏の名物となるまでに発展したのでしょう。
ちなみに「入浴券」は不要になった福引券の裏面を再利用しています…。
毎年、大会案内が作成され、各連や個人の踊り手に配布されました。車で来る参加者の便宜をはかるため通行許可証を発行したり実行委員にはその都度、委嘱状を交付したりきちんと細かい手続きを踏んで大会を実施・運営していたことが分かります。
(左)昭和48年の第8回大会から、一般公募による阿波踊り大会・写真コンクールも実施され、予想を超える応募が集まったそうです。
以上、10年にわたる十条阿波踊り大会の資料をご紹介し、そのあゆみを駈け足で振り返りました。年々規模が大きくなる一方、費用も増大し、とうとう昭和50年は1日限りの実施となり、さらに翌年は富士見銀座と十条中央商店街が参加しないことになり、十条銀座単独の開催となりました。この昭和51年・第10回大会のあと十条銀座は長年の念願であったアーケード建設を着工。昭和52年3月に本通りのアーケードが完成することにより、阿波踊り大会も実施を断念するに至ります。
昭和52年8月3日付の「組合報」(78号)に、次のような記事が掲載されました。
「夏の催事について」 理事長
本年の夏の催事に関しては、恒例阿波踊り大会継続の可否について、その実行可能面、その効果面その他の要因を組合員アンケートを始め 理事会・各種部会等
に於いて種々検討した結果、誠に残念乍ら茲に一応の終止符を打つこととなりました。同時にアーケード街完成を契機として、新しい趣向により前進を計ることとなり・・・」
十条阿波踊り大会は、こうして10年の歴史に幕を下ろしました。
昭和40年代、十条で夏の風物詩として盛り上がった阿波踊り大会について関係資料と写真を中心に、3回にわたってご紹介してまいりました。
いかがでしたでしょうか。当時のことを知らなかった方はもちろん、懐かしいと思われた方も、恐らく見たことの無い資料があったのではないでしょうか。
これからも様々な資料の逸品・珍品をご紹介していきたいと思います。どうぞ、お楽しみに!