公開日:2005-08-20十条村役場10.十条軍用地の百年~七軒町をご存知ですか?
本日も十条村へお越しいただき誠にありがとうございます。
今回は、自衛隊十条駐屯地とその周辺のお話をいたしましょう。
あまり知られていないことでございますが、現在の十条駐屯地周辺地域が
旧陸軍の用地となってから、今年の秋でちょうど百年を迎えます。
実はこの土地が軍用地となる以前、そこには江戸時代から続く20軒余の集落が
あったのでございます。その集落は「七軒町」と呼ばれていました…。
◆ 明治38年秋、小石川にあった陸軍東京砲兵工廠の工場が現在の十条台一帯に
引っ越してまいりました。その敷地は約10万坪もあったそうでございます。
下の地図は、陸軍が明治38年に買収した用地を示したものです。(斜線で示してある
エリアが東京砲兵工廠の敷地です) 現在の自衛隊十条駐屯地だけでなく、十条中学
や、東京成徳大学、養護学校、区立中央公園、北療育医療センター、王子本町3丁目
団地などを含む広大な敷地だったのですね。
◆… 「七軒町」の住民たちは、立ち退きを余儀なくされて、主に現在の上十条1丁目郵便局周辺に引っ越すことになりました。しかし、何軒かの家は十条の別の集落や王子方面へ転居していったのでございます。郵便局あたりを中心に、この近くに残った住民たちによって「七軒町」の名前は引き継がれ、その後町名の変更によって、この周辺は「上十条1丁目東町会」となりました。東京砲兵工廠も、その後「火工廠」「造兵廠」など、何度か名称が変わり、土地のお年寄りたちは今も「工廠」「造兵廠」「一造」(第一造兵廠)など様々な通称で呼んでいます。
唯一現存する旧砲兵工廠のレンガ倉庫跡は、区立新中央図書館の一部として再利用される予定とのこと。
今日は消えた集落「七軒町」のお話をいたしました。
まるでダムの湖底に沈むようにして、あるいはハサミで切り取られるようにして
かつての七軒町は、集落ごとなくなってしまったのでした。
集落の鎮守神だった「四本木稲荷」は、砲兵工廠の守り神となりましたが、
現在の稲荷公園の場所へ移転したのち戦災で焼失。造兵廠滝野川工場に分祀された
同名の神社だけが、今も滝野川3丁目の団地脇に残されております。
…次はどんなお話をいたしましょうか。
またのお越しをお待ちしております。