公開日:2005-11-24十条村役場12.村人たちのほのぼの事件簿 その3
本日も十条村へお越しいただき誠にありがとうございます。
今回は、空き巣犯のお話でございます。現代も巧妙な空き巣狙いによる被害が多発
していますが、江戸時代の十条村にも、時折りドロボーが出没したようでございます。
◆ この史料は、江戸近郊で盗みをはたらいていた喜三郎に対する万延元年(1860)の判決記録です。喜三郎は小豆沢村・下板橋宿(現板橋区)や滝野川村・十条村・赤羽根村(現北区)の百姓宅7ケ所に忍び込んで金品を盗み取り、果ては馬に付けてあった釘までも盗んでいったとあります。存命であれば市中引廻しの上、死罪に処するところであるが、病死してしまった、と記されていますので、長期にわたる公判中、劣悪な扱いを受けて牢死したのでございましょう。
◆「その方ども盗み取られそうろう品、取り上げ置く分、渡しつかわし、その余の品は、行き先相分らず、銭は使い捨つる間、一同その旨、存ずべし」と、被害に遭った百姓たちへ申し渡されています。盗難品のうち、押収された品は持ち主へ返却されたものの、それ以外は行先不明で銭は使い果たしてしまったので、お前たち、その旨承知しておけ、と冷たいお言葉・・・。
◆ 被害に遭った百姓のうち「十條村/久左衛門、清左衛門」とあるのは、おそらく下十条村の百姓だと思われます。久左衛門さんと清左衛門さんは家もすぐ近所で、現在の上十条1丁目・水道局裏手あたりに住んでいました。まことに災難でございましたね。
◆ 現在の上十条1丁目・水道局
きっとこのあたりも、農家と畑が点在するのどかな所だったのでしょうね・・・。
今回は江戸時代の十条村に現れたコソ泥・喜三郎の史料をご紹介いたしました。白昼の空き巣犯なのか、夜間の犯行なのか詳しいことは分りませんが、鍵がかけられた戸をこじ開けたり、壁を破ったりして農家宅へ侵入しているので、たぶん昼間の野良仕事中を狙った空き巣犯だったのでございましょう。
江戸近郊のお百姓さんたちも、幕末ころになると、けっこう自宅に現金をたくわえていたのですね。警備が厳重な村の有力者宅ではなく、一般の農家を狙っている節もあり、当時の経済状況が垣間見えるようです。
さて、次回はどんなお話をいたしましょうか。またのお越しをお待ちしております。