公開日:2006-08-22十条村役場15.中央公園正門付近~王子新道踏切を歩く
十条村のハシからハシまで③旧下十条・滝野川村境
毎度、十条村へお越しいただき誠にありがとうございます。
十条村の境目を歩くシリーズの第3回目は、下十条村と滝野川村の境界線をご案内いたしましょう。コースは、前回の終着点・区立中央公園正門付近から「王子新道」を西へ歩き、埼京線と交差する王子新道踏切までの短い道のりです。距離は短いのですが、十条と滝野川の村境にも、それなりに歴史的なエピソードが残されているのでございます。
◆ 下十条村と滝野川村との境目は、だいたい現在の「王子新道」に沿って伸びていたと考えられております。ただ、江戸時代の境界線は複雑に入り組んでいたものと想像され飛び地なども多かったことでしょう。あとでご案内いたしますが、下十条村と滝野川村の間には「谷津」という集落がまたがっており、境界線が曖昧な地区だったのでございます。
◆ 「王子新道」は、明治20年(1887)11月着工。明治21年2月11日に完成記念の開道式典を行ったそうです。当時、王子は工場や停車場が出来て、急速に発展していましたが、江戸の四宿に数えられた板橋宿は、明治に入ると次第にかつての繁栄にかげりが見られるようになっていました。そこで、地元の有志が立ち上がり、東京府からも助成金を得て、王子と板橋を結ぶ新道を開設し、両地域の発展を目指したのでございます。
◆ 現在の王子新道は、区役所通りの王子本町交番前から分岐して、板橋へ通じていますがかつては交番から先、東へ伸びる権現坂も含めて「王子新道」と呼ばれておりました。つまり、現在の森下通り(王子駅西口から王子稲荷前へ至る道)と権現坂(北とぴあ正面入口前から区役所通りへ上る坂道)がぶつかる交差点が、王子新道の本来の出発点でございました。まだ、新道開設当時は、音無橋も架かっておらず、飛鳥山前へまっすぐ伸びる区役所通りも開通していなかったのです。
◆ 王子新道 ◆
「新道」といっても、できたのは今から118年前のこと。2008年には120周年
を迎えるのですね。
◆ さて、下十条と滝野川の村境になっている王子新道の周辺に、かつて「谷津」と呼ばれる集落がありました。現在の滝野川4丁目と王子本町3丁目一帯で、寿徳寺というお寺を中心として石神井川左岸に広がる集落でございました。この「谷津」という集落は、十条村と滝野川村の両方にまたがっており、ちょうどその真ん中を王子新道が横断しておりました。
◆ 江戸時代の一時期「谷津村」として独立していた時期もあったようですが、幕末の頃には、北側半分が下十条村へ、南側半分が滝野川村へと分かれていたとも言われております。明治に入り、新たに境界線が引かれたのですが、王子新道の開設によって再び境界が分断されてしまったので、今度は王子新道を村の境界線に変更し、ようやく落ち着きました。
◆ 谷津自治会会館 ◆
今でも滝野川4丁目あたりの町会には、「谷津」の名称が使われています。
◆ 村境に話を戻し、王子新道を西へ歩きます。しばらく進むと、埼京線と交差する踏切に出ます。「王子新道踏切」です。踏切のすぐ手前あたりが、下十条村と滝野川村そして下板橋宿との境界だったところです。ここで十条・滝野川両村の村境は終点でございます。
◆ 板橋区は埼京線の西側だけ、と思っていたら、実は線路の手前(東側)にも少しだけハミ出しているのをご存知でしょうか。大きな地図をお持ちの方はご確認ください。加賀1丁目1番地と板橋4丁目45番地は、ちょっとだけ埼京線の東側にハミ出しているのですね。こうした中途半端な区界も、元をたどれば村境の名残りなのでございます。
今回は下十条村と滝野川村の境目を歩いてみました。
次回もまた、この続きを歩いてまいります。どうぞお楽しみに。