十条村役場7.村人たちのほのぼの事件簿 その1JUJO GINZA READINGS

公開日:2005-03-18十条村役場7.村人たちのほのぼの事件簿 その1

十條村役場

本日も十条村へお越しいただき誠にありがとうございます。
今回は、十条村で起きた“ほのぼの”事件をご紹介する「事件簿」シリーズの第1弾でございます。
百年以上前の村人たちが、私たちと同じように泣いたり、笑ったりした些細な日常、取るに足らない小さな事件…。研究者などがあまり取り上げない記録を拾って、皆様にご紹介してまいりたいと存じます。


◆ここにご紹介するのは、今から160年ほど前の天保12年(1841)6月に下十条村の百姓と上十条村の百姓がケンカをしたという記録でございます。上十条村も下十条村も江戸時代は「東叡山」すなわち上野・寛永寺の領地でございました。寛永寺領の領民たちを支配していたのは「田村権右衛門」という寛永寺の御代官でしたが、この記録は田村権右衛門が領民支配の様々な事例を書きとめた『東叡山領取計』という文書の中に出てくるのでございます。

 

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←( 現代語訳 )

6月御係・戸田日向守殿


武州豊島郡上十條村の百姓・奥右衛門方へ、下十條村の百姓・太郎右衛門の息子・兼次郎がやって来て、小作のことについて悪口を言いつづけ、持参してきた三尺棒で理不尽に奥右衛門を殴りつけました、との趣旨で(村の役人が御代官に)現場検証を願い出たので、(代官が)手代(家来)を派遣させたところ、話し合いで和解し、訴えを取り下げたいというので、その件について(寺社奉行へ)お伺いを立てた上で、取り下げました。


(国会図書館所蔵『東叡山領取計』より)

◆一見すると、実にくだらない傷害事件の事務報告なのですが、事務報告にしては、なぜか妙に具体的な表現があって、ちょっと面白いのでございます。特に「小作のことについて、悪口を言いつづけ」「持参してきた三尺棒で理不尽に奥右衛門を」ぶんなぐった、というくだりは何とも笑えます。小作契約をめぐり、よほど話がこじれていたのでございましょう。しかし、三尺(約90センチ)の棒でなぐられた奥右衛門さんも災難でしたね…。

◆ところで上十条村の百姓「奥右衛門」さんの屋敷は、現在の十条駅前「みずほ銀行」の場所にありました。一方、下十条村の百姓「太郎右衛門」家の屋敷は、バス通りを渡った先、現在の「久保の湯」付近にあったのでございます。つまり、片や「上十条村」片や「下十条村」と住んでいる村は違っても、両家はすぐご近所同士だったという訳です。そして多分、事件のきっかけとなった小作地というのは、今のまちづくり公社一帯にあった奥右衛門さんの畑だったと想像されます…。

 

奥右衛門さんの屋敷があった銀行を望む 十条駅前

奥右衛門さんの屋敷があった銀行を望む
十条駅前

上十条2丁目「久保の湯」さん。この少し先あたりに太郎右衛門さんの屋敷があった。

上十条2丁目「久保の湯」さん。この少し先あたりに太郎右衛門さんの屋敷があった。

十条村の“ほのぼの"事件簿・第1弾いかがでしたか?

実際の記録には「奥右衛門」さんと「兼次郎」さんの住所は書かれていません。
でも、住んでいた場所が具体的に分かると、こういう記録もぐっと身近に感じられますね。
160年前の村人たちが大騒ぎしている生々しい声が聞こえて来るようでございます。

さて次回は、どんな“ほのぼの"事件をご紹介いたしましょうか。
またのお越しをお待ちいたしております。

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